真夜中にベルが鳴る 2
そう問いかけると、彼は、卑屈そうな顔で笑った。
「待ってるけどさ、来ないんだよな」
蚊の鳴くような声。つよがりでさえない。
これは恋愛系を強烈にこじらせた症状だと、僕は思った。
「おまえ、ひょっとして好きな人とかできたの」
彼は目を合わせず、独り言のようにぽつりぽつりと話し出した。
ビールを飲みながら黙って聞く。
彼が知り合ったひとは、ずっと付き合っている彼氏がいて、でも彼と関係を持った。
誘ったのは彼だった。
誘ったとき、彼女が彼氏持ちだとは知らなかった。
気にもしていなかった。一目惚れだったから。
がやがやした居酒屋で飲んだ。
彼女はとても自然に「私の彼氏の話」を彼に聞かせた。
やけになって日本酒を煽った。
彼女も合わせて日本酒を頼んだ。彼の話に笑う横顔が、彼の心を締め付けた。
酔った勢いで仕事の愚痴だの感情色々をさらけ出した。
「わかる、わかる」と彼女は相槌を打った。あ、話に花が咲くとはこういうことを言うのかな、と彼は思ったらしい。
お互いの『弱さ』みたいなものが似ていたから、なんだか親しい気持ちになったのかもしれないと彼。
自然に、なにかのいたずらのようにホテルで遊んだ。
遊んだ、という表現がぴったりだったと彼は言う。
それか慰め。
定期的に会うようになって。
好きな映画の話や、CDの貸し借りなんかもした。
でも彼氏の話はほとんど出なかった。
彼氏がいるということは気になるが、やぶへびになるのが怖くて「おれはそんなこと気にしてないぜ」というポーズをとった。
何回目かの逢瀬のとき、バーで5杯目のグラスを空にしてそのあと、
「あっちも好きなようにしてるんだ、ほんと、クラブで知り合った子なんかと」
とぽつりと言われた。
彼は上手い言葉が思いつかなかった。代わりに喉いっぱいにビールを飲みこんだ。
彼女は彼の前では無邪気に笑った。
少なくとも彼にはそう見えていた。
いつも会うときはきまって夜で、居酒屋からホテルに行く定番のコース。
彼女はいつも23時の電車に乗る。
いつも引き止められない。
「確認をしたわけでもないのに、なんか、確信があった」と彼は言った。
自分に本気の恋愛感情があると知れたら、彼女は離れていってしまうような気がしたと。
独りで飲む酒の量が増えた。
彼女と別れて家路につく23時30分、ねばねばしたこの気持ちを洗い流すように酒を飲んだ。
彼女からのメッセージを待つようになった。
彼女からのメッセージは月に2回ほど、一貫して安定している。
それ以上の月もそれ以下の月もなかった。
それ以外の余計な連絡はないとわかっていた。
けれど、なにか心境の変化が起こって、今日にでも会いたいってくるかもしれない。希望的観測。
もしくは、「今日こんなことがあったよ」って日常の報告的なものとか。そんかあれこれを期待していた。
でもそんなことは、今日に至るまで一切なかった。
会えば会うほど、本当の気持ちが言えなくなってくる。
そんな浮気ばっかりの彼氏とは別れて自分と付き合ってほしい、っていう一言が。
「間男が、そんなこと言っても良いのかね?」
と彼は自嘲気味に笑った。
もちろん僕は彼のそんな表情を初めて見た。
その瞬間の彼の頬の筋肉の動きや痙攣が、なぜか、すごく人間らしくて、魅力的だと思った。
そのとき、携帯電話のベルが鳴った。