宅配
配達の男の人から小ぶりなダンボール箱を受け取って、玄関のドアは早々に閉まった。がちゃん。
ふたたび、空間は静寂に包まれた。
配達の彼と、一瞬だけ目が合った。
彼は何か困惑したような表情を見せたけれど、すぐさま営業用の笑顔に修正したようで「ありがとうございます」と爽やかに笑った。
なかなか素敵な笑顔をするお兄さんだ。
その笑顔も、今のわたしにはなんだか申し訳ない気分にさせられてつらくなる。
奇妙な女だと思われただろうか?
この荷物が届くのをすっかり忘れていた。
今日は昼から映画を観ながら、お菓子を食べて、ビールを飲んでいた。
なんてしあわせな一日。
うん、そう、わたしはしあわせだ。
映画の途中で、涙が出てきた。
コメディ感満載の映画の内容と
わたしの涙はあんまりにつながりがなくて、
でも涙は止まらなくなった。
配達の彼は怪訝な顔でわたしを見たけれど、
いちばん自分のことがわからないのは、
他でもないわたし自身だ。
ダンボール箱のテープをひっぺがして、中身を取り出す。
昨日は昨日で酒びたりになっていた。
家で飲んでいる分には、足元がおぼつかなくても数歩歩けばベッドがあるからなにも困ることはない。ひとに迷惑をかけることもないし。
それで、3本目の缶ビールを飲みながらスマホを繰ってAmazonでぽちっといったのだった。
思い出した。衝動買いもいいところ。
段ボールを開けると一足の靴が入っていた。
真っ白なスニーカー。
ナイキのスウォッシュが真っ先に目に飛び込んできた。
さらに、まったく頼んだ記憶はないのだけれど、なぜかナイキ創業者の自伝のペーパーバックが同梱されていた。
なんでスニーカーなんて頼んだのだろう。
昨日のわたしはなにを想っていたのだろう。
「ちょっと休んでもいいから、気が乗ったら、これでも履いて歩き出してみろよ」
好きな声優の声色を真似しながらひとりごちてみた。
突然に前向きな台詞が口から飛び出てくる自分はすばらしいと思う。
ここ半年、嫌なことばかりが立て続けに起こった。
仕事とプライベートで諸々。
順調だった過去10年分くらいの反動で、不幸の詰め合わせセットが神様からプレゼントされた、ような気分になる。
でもそうではない、と薄々は気づいていた。
彼と別れたのも、仕事を失ったのもわたしの積み重ねの必然である。
なにかを、無視して人生を進めていたのではなかろうかと今では、思う。
たとえば、彼がふとしたときに見せる困惑したような顔だったり、仕事の下請けさんの苦笑いも。
今までなにも起こらなかったから、わたしは、その表情を視界の隅に認識しながら気に留めなかった。
すべて、なにからなにまで遅かった。
「それ」が起こらなければ、永遠にわたしは気づけなかっただろうとも思う。
こわい。
彼と結婚する未来も、
今のまま働き続ける将来も、
透けて見えるような気分で、
どこかでわたしは馬鹿馬鹿しい、くだらないと思っていた。数年前から。
そんなことを思い始めていたわたしは、ゆっくりと、彼からも、携わる仕事からも、
わたしが相手に対して思うそれ以上に不本意だと、思われていたのかもしれない。
そういえば、今日はわたしの30歳の誕生日だ。
「まずは近所から、ウォーキングからでもかまわないかい」
ひとりごちながらわたしは、3日ぶりにカーテンを開けて窓から頭を出した。
青色が目に飛び込む。
あの日の帰り道がうそだったみたいに、
外の世界はからっと晴れていた。
2階の窓からは、道路を挟んで向かいの住宅が見えた。
その道路に配送のトラックが停まっており、ハザードが点滅している。さっきの配達のお兄さんが荷物を抱えて向かいの家のインターホンを押すのが見えた。
玄関ドアを開けたおじさんに、なにか文句でも言われているのか、ぺこぺこと頭を下げながら彼は荷物を渡して、車に戻る。
彼はそのときも笑顔だった。
さっき私に向けてくれたような毅然とした笑顔。
そして頭をかきながらトラックに乗り込む。
気づかれていないと思ったけれど、
最後に彼はトラックの運転席から窓越しにわたしを一瞥すると、会釈をして、それから少し悩んだように下を向くと運転席の窓を開けた。わたしのほうをまっすぐ見て、唇が動いた。
「〜〜れ」
聴き取れなくて、
怪訝な顔をつくってみて窓から乗り出したけれど、
言い終わるなり彼のトラックはすでに発信していた。
去り際の彼の横顔はまた笑っていた。
クシャっとした、さっきとは違う笑い方だった。
ふわっと、
初夏の風が髪の隙間を通り抜けて、
なんとなく生きていける気がした。