僕と誰かの日常の記録/妄想文章

個人的なブログ。永遠のど素人が一級建築士試験を受けてみた。小説や映画の感想。思いつきで書く創作的文章など。

ドラマ【ドラゴン桜】観てたら諸々の受験のことを想い出したよ

少し前に最終回を迎えたドラマ【ドラゴン桜
面白かった。

劇中に出てくる受験テクニックには汎用性のあるもの満載で。

精神論と理論が交わるいい感じのところ。

中でも、東大に受かることを一義的に考えるのであれば志望学科の変更も辞さないというのは参考になった。
たとえば一級建築士試験では受験科目の選択なんてできないけれど、得意科目で多く点数を取り、苦手科目は足切りを避けるくらいの割り切りは必要なのではないかと思った。
実際、僕も得意な法規で満点近くを目指し、構造では平均点に負けないことを念頭に置いた。

努力は大切だ。

でも、努力しても自分の能力的に届かないところがある。悲しいけれどそうなのだ。
誰もが大谷やイチローになれないように、
学生時代にジャストミートした放物線が柵越えを果たさなかったように、
努力を超えたところにどうしようもなく個人の適性というものは存在する、と僕は考えている。

僕は「適性」という言葉を使った。

ホームランを打てない人間はたくさんいるかもしれないが、生きていく上でなにもイチローや大谷になる必要はない。
ルーティンワークのレベルならば、その他大勢の地平からみてみれば、自分の得意分野というものが必ずなにかしらあるはずだ。

最後はそこで勝負する。

ポイントを定めて勝負していけば、
ある日面白いように、がらっと、変わることがある。

偏差値35からの大学受験を決めた。
部活動で挫折をして、それからなにもかも中途半端で、そんな高校生活と自分自身にうんざりしていたから。。

受験事情などに精通していない人でも名前だけは知っていると思われる某大学を志望した。
あらゆるひとに絶対に受からないと言われた。
鼻で笑われた。

「どうしたの?絶対無理だよ?」

それを聞きながら、この人は、なんで、他人である僕の未来をここまできっぱり断言できるのだろうかと思った。
だって、彼は僕が家に帰ってから机に向き合っている時間の密度を知らない。仲良くもない知り合い。過去の模擬試験の点数しか知らない、のに。

誰も、毎日僕がどのくらい勉強している知らないし、勝算なき受験だと言われる。

それも当然だ。
僕は学校での成績は部活にかまけて最低だったし、そんな僕が受験をすること自体が周りの失笑を買った。
人が視る自分の像は、過去の自分が作り上げてきた像そのものなんだ。

毎日家に帰ると机に向かったきり、誰とも進捗を確認することもない。
でも僕には自分が間違えているとどうしても思えなかった。自己採点した過去問の成績は上向いてきていた。

毎日5時間の修練。それをやる。誰も見ていない。隣の部屋にいる親以外は。

僕は、僕を知っている。
馬鹿ではない。


自分の最有力のフォロワーは、やはり自分。
周りの人は、過去の自分の成績でしか自分を判断しない。それで何を言われても仕方ない。
結果と風評はあとからついてくる。
それが僕が高校時代に得た貴重な体感だった。

結果的に第一志望の大学に合格し、
周辺の評価は、それこそ一夜にして軽薄な誰かの手のひらのようにひっくり返った。
「やると思ってたよ」
「優秀だ」

同じ舌でそういうことを言う。
僕はそのとき、外野的立場である人間の言うことに心を振り回されるのは金輪際辞めよう、と心に誓った。


自分を信じる。信じることができる自分を生成する。
やっぱり、鍛錬を続けているのであれば、それが根拠だ。

ドラマで感動的な一言があった。
「お前らはこのくらいの奇跡だったら、いつでも起こせるってことだ!!」
by桜木先生

実を言うと、
ドラマの桜木先生のように、僕には心強いサポーターがいた。大学受験の頃、
「やってみないとわからんじゃないですか」と、逆に教師に食って掛かる両親がいてくれた。でないと、たった一人でチャレンジする気持ちを続けるのは困難だったと思う。
心の底から感謝する。

僕が親の立場になった時は、同じように応援したい。

桜木先生のようにね。


ドラマ未視聴の方はぜひぜひおすすめいたします。
間違いなく心に火が灯ります。


……早瀬奈緒役の南沙良さんに文学作品好きの匂いを感じ、密かに応援しております。
NHKのドラマでやっていた、【6畳間のピアノマン】も良かったなぁ。