僕と誰かの日常の記録/妄想文章

個人的なブログ。永遠のど素人が一級建築士試験を受けてみた。小説や映画の感想。思いつきで書く創作的文章など。

硬球と彼女 1

あるボクシング選手が、たったいま世界王者になった。僕はそれを、点けていたテレビの画面越しに眺めていた。
ボクシング選手はリングを囲む大勢の、ほんとうに大勢の人の喝采を中央で浴びて、目を潤ませてなにやら感謝の言葉を言った。リングの上から視線はまっすぐ、カメラも気にならない様子で感情のまま言葉を綴る。ジムの会長や彼を支えた大勢の人に向けて。僕にはそんな人はいない。
華やかなラウンドガール二人が彼を取り巻くように斜め後ろに侍り、その目にも涙。

僕にはそんな人はいない。


あの子の顔を瞬間思い描いたけれど、その後、針をゆっくり刺しこまれていくような痛みが、胸の付近を襲った。
でもそれもバーチャルな痛みだ。


家の庭先で僕はバットを振る。振った数を数えて、そのぶんだけ果たして自分が向上しているのかどうかを考える。
根性論はくだらないと思う。一回一回の素振りにだって意味がなくちゃいけない。そうしてだんだんと僕は向上していく。百回目のスイングより、今の百一回目のスイングのほうが正確に仮想の球を叩いた。
部活から帰ってきて、夜の素振りは毎日の日課だった。ポーチの灯りと庭の先に立つ街灯の光を頼りに、雑草の生えた庭とも言えない庭でバットを振った。僕はこの行為に夢中だったし、面白かった。体は僕の思うとおりに動いて、ボールを捕らえベースを蹴った。
そこに長くのめり込んでいれば、少なくともその時間はあの子の顔が脈絡なく頭の裏側に現れるとかそういったこともなかった。素振りには、そういう、なにかを振り払う意味もあった。

その頃僕は野球に夢中だった。



高々と放物線を描いて飛んだ硬球が、外野手の後ろに張り巡らされたネットにノーバウンドで突き刺さった。それを目の当たりにしたとき僕は野球を辞めようと思った。
その打球を放った僕のスイングは、いつもの鈍い石の感触が薄く残る振り心地とは違っていた。バットが球の芯を食うと、なんの抵抗もなくまるで球を打っていないかのような不思議な感触が手の内側に残った。
ホームランだと思った。当然ネットを越えるって。
人生最初の手応え、これが一度も打ったことのないホームランの感触だって。
二台あるバッターボックス、横を見るとあいつがいい当たりを飛ばしていた。それを呆然と眺めるしかなかった。バットを持った右手が小刻みに震えているのがわかる。不思議と突き刺さるような現実味はなく、他人事のようにも感じた。
その日の夜に麻酔は切れて、布団の中で眠れなくなった。

大半の少年が生まれて初めて通る人生の挫折、それは自分がプロ野球選手になれないと気付いたときだって何かで言ってたっけ。映画だったか、なんかの漫画だったか。
硬球はこんなに重い。


僕はそのとき、強くならなければと思った。
野球に対してではない。
なんでもいい。自分の人生に対して、何かひとつでも証明しないと僕が消えてしまうと。