僕と誰かの日常の記録/妄想文章

個人的なブログ。永遠のど素人が一級建築士試験を受けてみた。小説や映画の感想。思いつきで書く創作的文章など。

記述について本気出して考えてみた。

記憶を手繰り寄せながらこの文章を書いています。
今まで一級建築士設計製図試験についてさんざんメモを残してきたにもかかわらず、記述について触れたことがほとんどなかったのが心残りだったからです。

僕が初めて設計製図試験を受験して派手に散った2016年は、記述の出来もかなり影響したんじゃないかな、というのが正直なところです。
初年度であることでやはり相応の焦りがありましたし、どこか正常な判断が出来ない状態でありました。ただの言い訳ですが。。
どうにかして行を最後まで埋めないと、という意識が働いてしまいました。短い文章は論外ですが、それよりもより罪深いことは、にわか仕込みの知識を振りかざしてしまうことです。
僕は、こともあろうに、天井落下対策について書いた文章のある部分がまるっきり的外れであることに試験終了後に気づきました。なぜそんなことを書いてしまったのか今でもよくわかりませんが、追い詰められていたのでしょう。そうすべきではなかったです。
曖昧な知識で書いたものは見透かされます。

2017年の課題が発表されてから僕は、独自に、課題の用途から想定される問題を予想してそれらの対策を練りました。
バリアフリーに関する細かなこと、パッシブデザイン、傾斜地の排水計画、エトセトラ、エトセトラ。インターネットや専門書を活用して自分なりの想定問答を作成しました。

でも、どこまでやっても、不安な気持ちが消えることはありませんでした。
僕は、次々と生まれる新たな不安を打ち消すように記述の演習を繰り返しました。

2016年を振りかえると、太陽光については何か書けるけれど太陽熱については何も書けませんでした。本試験の問題文を読んだ時にじわりと滲み出る嫌な汗。できることなら、もうそんな気分を味わいたくない。そんな思いでやってきました。

やはりというか、2017年の記述でも面食らう問題に遭遇することになりました。結局僕は嫌な汗を再びかくことになったのですが、そこでは、今度こそ冷静に、ある程度誠実な回答ができたのではと思っています。

そして僕が作成した想定問題が直接的に本試験で出題されることはありませんでした。
しかし、自分の中の貯金というのか、そういったものに目には見えない部分で助けられていた気がしてなりません。

出題の可能性が薄いなら、そんなことをしなくても、もっと要領よくすればいいのにと、数年前の僕がこの文章を読んだならば必ずそう言っていると思います。

でも僕はどうしても、受かりたかったのです。
こんな気持ちになったのは初めてでした。

また、記述については、知識はもとよりプレゼン能力も試されていると感じました。
限られた何行かのスペースで自分の計画を効果的に表現し伝達する。その空白のスペースに何を書き、また、何を書かないかは全て自分の裁量で選択することができます。

目の前にいる相手に話すように書くことができれば、その記述は自ずと説得力を持つようになるのかもしれません。