僕と誰かの日常の記録/妄想文章

個人的なブログ。永遠のど素人が一級建築士試験を受けてみた。小説や映画の感想。思いつきで書く創作的文章など。

一級建築士学科試験の記憶(後編)

学科試験を終えて、自己採点の結果が90点を越えていた僕は設計製図の講座を受講することになった。学費は当初から学科製図のセットで申し込んでいたので支払い済みだ。

これまた思うように進まない設計製図の授業。
とりあえず手書きの作図が深夜まで終わらない。二級建築士を受けた頃の作図力はすっかりなかったことになっていた。

学科試験とはまた違う脳を使う感覚。うまくいかないけれど、それでも少しでも前に進んでいっている感じが楽しくもあった。勉強のいいところは、努力すれば必ず一定の成果があることだ、というようなことを誰かが言っていたような。

僕は、再び没頭していた。

そして9月。学科試験の合格発表の日が来た。
設計製図の学習に追われていたものの、いわゆるボーダー付近の自分の結果を気にしていなかったと言えば嘘になる。いや、むちゃくちゃ気にしていた。

僕は、落ちていた。

当日朝に覗いていた某掲示板で合格基準点を知り、嘘だ、と思いながら試験元のホームページを確認した。
僕の受験番号はいくら探しても見つけられなかった。
うまく受け入れることができなかったんだと思う。なぜだか僕は、PDFファイルの中の合格者の受験番号をひとつひとつ凝視し続けていた。そこには何度見ても他人の受験番号しか書かれてはいないのだけれど、とても長い時間をかけて画面を覗きこんでいた。

その年の学科試験の合格基準点は、92点だった。
冷静に考えてみれば、スクールの模擬試験で80点台だった時も、90点を取った本試験の時も、判定表の順位や平均点との点数差、偏差値はほとんど変わらなかった。
本試験で自分の点数が急に底上げされて喜んでいたけれど、実際は模試と比べ低難易度であり、周りも少なくとも僕と同程度以上点数が上昇していたということだ。。

現実は冷酷だ。
僕の設計製図試験は、書きかけの図面を残して唐突に終わることになった。

しばらくは自堕落な毎日を過ごした。
すぐに次に向けての対策を立てられればいいのだろうけど、僕は強い人間ではなかった。

秋が終わりつつある頃、次の年もスクールに通うことに決めた。
僕はまず去年の反省と分析を行った。

本試験の問題用紙を開き、間違った部分に関して、当時の記憶を再現しようとした。択一式の正解肢をなぜそれにしたかの過程も含めて。というか過程を検討しないとおそらく無意味だった。

過去問やスクールの問題集にあった、定番とまではいかないが確実に見覚えのある出題で、いくつか失点していた。
本試験を受けている最中も、これやったことある!けど、どっちだったっけ?と悩んでいたのが思い出された。

それらのうちひとつでも正答できれば、合格していたという事実。
僕は打ちのめされそうだった。

でもしかし、1点差で涙を飲む人が毎年かなり多いことや、ボーダー付近の人数の分布が一番多いという話をその頃はじめて知った。

僕は、はっと理解した。
演習でやった1問のとりこぼしその差が致命傷に直結する、そのレベルでやっているのだ。
正直に告白すると、この学科試験の結果が出るまでは、得点がギリギリだろうが結果受かりゃいいんだよ!くらいの不遜な気持ちでいた。
しかしこれは、ギリギリを目標にしていて合格できるはずがない。そのくらいの知識レベルにはほとんど皆仕上げてくるのだから。そこからの積み重ねが明暗を分けてしまうのだ。
僕は、一級建築士という資格に対して、自分の努力が足りないことを認めざるを得なかった。

目標は明確になった。既出問題やその類題をとりこぼさない。去年それがなければ得点に5点は上乗せできていたはずだから。去年の点数に5点上乗せできる。すなわち合格が見える。

それから、1点差を埋めるためにいったい何時間を費やしたのだろう。
スクールのテキストと問題集に加え、合格物語という過去問を徹底的に鍛えるソフトを購入、なりふりかまわず金と努力で確実に合格をもぎ取る!という計画を立てた。来年はない、もうないんだ、と呟き、背水の陣で挑んだ。

繰返し繰返し問題を解いていて気づいたことがある。それは、同じ回数やっていてもなぜか決まって間違えてしまう問題が一定数あること。
なぜか決まって間違える、、それはその問題がなぜその解答になるかの根拠を理解をしていないということ。そして、勉強中に何回も遭遇するような定番の問題は、本番では確実にこなせるようになる必要があった。
僕はそんな問題をピックアップし、背景を少し掘り下げて調べて、理屈を理解し解答できるようにした。

分析が功を奏してその年の本試験は100点近くを取り、学科本試験後の夜も安心して熟睡できた。

僕はその後、設計製図のステージで一級建築士試験の深淵を覗くことになる。