製図試験に絶望した受験後に、中村文則『何もかも憂鬱な夜に』を読んだ。
一級建築士設計製図試験あるあるですが、学科試験と違い結果がはっきりとわからないために、かえって本試験受験後の方が精神的に辛かった、なんてことがあります。
僕もご多分に漏れず、精神的ダメージを負ってしまった一人でした。
その日は休日でしたが、家にいても落ち着かないため、近所の書店に出掛けました。
そこはカフェが併設してある書店で、購入した本を、珈琲を飲みながらゆっくり読むことができます。
とにかく一人でいると気がおかしくなってしまいそうでした。部屋にいると意識が内側に向かってしまうので、ある程度人がいたりして、自然と外部に意識を向けることができる環境に体を置いておきたかったのです。
その書店でなんの本を読もうかと、平積みされた小説を何気なく見ていました。偶然に目が止まったのが中村文則さんの『何もかも憂鬱な夜に』でした。
- 作者: 中村文則
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/02/17
- メディア: 文庫
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この吸引力。文庫本の表紙いい。
なにか同調するものがあったんでしょう。僕は、ぱらぱらとページをめくって、そのあとすぐにその本をレジに持っていきました。
(※以下は読書の感想になります。一級建築士試験関連の記述はありません、念のため)
僕は、中村文則さんの本を読むのは初めてでした。
いつも、書店でなにか本を検討する時は、ランダムに開いたページから1、2ページ分目を通してみて、もっと読んでみたいか、又は自分は読み進めていけそうか、などとなんとなく直感的に判断しています。今回もそうでした。
この小説がどういった話かというと、
施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の見決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠しているーー。どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。
(文庫本の裏表紙より)
という、なかなか重めのテーマです。
書店のレジで本の会計を済ませると、カフェに入り、珈琲を注文します。客席は五分くらいの人の入りで、女性客のグループや、僕のように一人で本を読んだりパソコンで作業をしている人がそれぞれ一定の距離を保ってテーブルについていました。僕は四人席のソファに腰を下ろすとさっそく小説を読み始めました。
冒頭から主人公の不安定さを感じさせる描写が続きます。それは、読んでいる僕をどことなく不安にさせます。
でも、なぜか僕は、この本を読み進めていて、これは矛盾しているのですが、ある種の居心地のよさを感じていました。それは、おそらく文体、ひとつひとつの平易な読みやすい言葉の選択からなる独特のテンポが、妙に心地よかったのだろうと思います。まるで静かな深い海の中にひとり包まれているような感覚でした。
僕は店内のカフェでひとり腰掛けながら、店員が持ってきた珈琲をすすることも忘れてページを捲っていました。
話は、主人公「僕」の刑務官としての現在を軸にして、恩師との記憶、学生時代の友人で主人公と関わりの深い真下という人物との記憶などが現在と交錯しながら進行していきます。
真下の死後、主人公宛に彼の残したノートが届きます。独白めいた内容を綴ったノートです。その中の一文を下記に引用します。
こんなことを、こんな混沌を、感じない人がいるのだろうか。善良で明るく、朗らかに生きている人が、いるんだろうか。たとえばこんなノートを読んで、なんだ汚い、暗い、気持ち悪い、とだけ、そういう風にだけ、思う人がいるのだろうか。僕は、そういう人になりたい。本当に、本当に、そういう人になりたい。これを読んで、馬鹿正直だとか、気持ち悪いとか思える人に……僕は幸福になりたい。
(本文より)
この小説の中で、真下という人物は、どこか穏やかではない、破綻しかけた人間だと僕は、読んでいて感じました。
ですが、僕は、何の用意もなくこの一節を読んだ時に、心をぎゅっと握られたような気がしました。自分の中に、なにか、自分の知らなかったものがあったのだろうか、と思いました。
なぜこの一節に心がひっかかっているのでしょうか?
まだ僕が十代の学生だった頃、なんとなくすべてが憂鬱で、それとは対照的に、周囲の同級生、大人たち、目に見えるすべての人が人生を謳歌していて悩みなどほとんどないように見えていた頃。その感覚を久し振りに思い出したのだと、読了後に思い当りました。
クラスメイトとのかかわりの中では、「明るさ」だけが重要視され、湿っぽい空気や話は敬遠された時代でした。
自分の内面など、さらけだせない。怖くて。
僕は、教室の中を笑顔で飛び回っているクラスメイトの姿を見て、自分が孤独であることを自覚しました。
今からすればそんなことはなく、クラスメイト達にも悩みはあっただろうし、同じような思いを抱いていた人もいたのかもしれません。本人に確認したわけではないので、これは僕の好意的な想像にすぎませんが。
……話が逸れました。
この『何もかも憂鬱な夜に』は、テーマ的には非常に重く、そういった場面が多い。なのに、ページを捲る指は止まらないのです。人間の内面に迫った描写がすごい。珈琲が冷めてしまうまで小説のなかに没頭した、引力のある作品でした。
当時の僕がこの小説を読んでいたら、また違った読後感を持つのでしょうか。読書は本当に面白いです。
しかも、この記事を書くにあたり再読をしましたが、一度目とまた違った気づきがいくつも、個人的にありました。
暗い、重いテーマは苦手だという人もいるけれど、僕はこの小説が好きです。もともと自分にそういった傾向があるのかもしれませんね。
普通の生活の中では言葉にならない、そんな感情を誰でも(多かれ少なかれ)持っているはずです。たぶんですが。
それを掬い上げてもらえたとき、人はその作品に感動するのでしょうか。
もしも何もかも憂鬱な夜があなたに訪れたら、この小説を読んでみたらいかがでしょう。