僕と誰かの日常の記録/妄想文章

個人的なブログ。永遠のど素人が一級建築士試験を受けてみた。小説や映画の感想。思いつきで書く創作的文章など。

二年目の設計製図、三月の憂鬱。

去年の春だった。

僕は、とぼとぼと学校までの道を歩きながら、自分の足が地面をしっかりと踏み締められていないことを自覚していた。
精一杯、全力で挑んだ製図試験に落ちてから、エスキスをする気分にもなれず、かといって仕事に没頭するでもなく宙ぶらりんな気持ちで過ごしてきた。

落ちたとわかった時点でユーザープランニングに申し込み、他人の図面を眺めてはいたけれど、自分がなぜ落ちたかはまだ理解できないでいた。
しかし、なんらかの結論を出さなければ前には進めない。落ちた理由を分析できなければ、どこを目指して歩いていけばいいかも定まらない。
長期講座に通い、課題発表になる7月までに自分の中でなんらかの答えを出さないといけないと思った。

当然、待っていても、誰も答えを教えてはくれないことだとはわかっていた。空からも都合よく降ってはきてくれそうもない。自分の至らない部分は、考えて、考えて、自分で見つけるしかないだろうと思った。

そうはいっても、僕は焦っていた。
学科はある意味では明快に目指す場所があった。
製図試験の難易度の高さはすなわち、○×の定かではない成績の分析が非常に難しいことだった。
正直なところ、自分がなぜ落ちたかの理由づけは、簡単にはできなかった。あまりに図面とにらめっこを続けていると、僕の主観が邪魔をしているのかどうかさえもわからなくなっていった。

わからないけれど、練習をしないわけにもいかない。長期講座が始まるのだ。

そこで僕はまず、製図時間中に迷う事柄をできるだけ少なくしていこうと決めた。基本的な部分から自分基準を確立していく。
作図表現、エスキスでこれはしていいのか、だめなのか、慎重になればなるほど、合格したいと思えば思うほど、判断に迷い体が震える。そんな些細なことでペンが止まることは本試験では致命傷になり得る。判断力だ。判断力(と、判断に至った理由を脳内でプレゼンできるような能力)を鍛えないと。

ハンターハンターのキルアの名言のひとつに、『毎日完璧な体調管理をこなしながら、致死量ギリギリの毒をいつでも躊躇いなく飲めるやつが生き残れるんだ』というものがあった。本試験での判断は、そんな気分にも近いものがある。

致死量ギリギリの毒を躊躇いなく飲めるのが毎日の完璧な体調管理をこなしてきた者だけならば、一級建築士設計製図試験では、確固たる自分の基準を持った者だけがギリギリの状況で瞬時に生きた判断を下せるのか。

たとえが大袈裟なんだよ、と思うかもしれない。

でも、本試験を一度体験した僕にはけして大袈裟でなく、むしろ妙にしっくりきていたのだ。この名言。

とにかく、過去問レベル、学校の課題レベルでは迷ったり悩んだりしないようにしよう。既出のパターンは全て把握してそつなくこなせるように。
本番では不意をつかれてやはり悩むにしても、その要素をひとつでも減らしておきたかった。脳の容量はできるだけ、本試験で初めて遭遇する不確定要素に全力で対処するために使いたい。そのためには他の当たり前の部分のルーティン化、省力化だ。

そんなことを考えながら、二年目の設計製図長期コースが始まった。
考えながら、様々なカリキュラムをこなしていくなかで、徐々にではあるけれど、自分の中で有機的にやるべきことが結び付いていった。
けれど、それはまだ、数ヶ月先のこととなる。