崎山蒼士と吉田修一
先日ブログに書いた崎山蒼士さんが昨日のニュースZEROで特集されていた…。興味深かったのでたまたま見れてよかった。
高校生の崎山さんと、五月雨などの歌詞が醸す世界観のいい意味でのギャップというかがピックアップされていた。なぜそのような詞がつくれるのか、といったインタビュアーの質問に、中村文則や吉田修一といった作家が好きで、その表現、文体などに影響を受けたからだと答えていた。たしか。
え、
好きな小説家、僕とまったく同じじゃないですか。。
僕は、好きな小説家の話を普段誰かとすることはない。
最近ヘビーローテーションしているアーティストの口から意外にもその小説家の名前が出てきたことが嬉しく、勝手に興奮していた。
ここで唐突に、僕が個人的にオススメする吉田修一の短編小説をご紹介したい。
(以下は、上記内容とは関係なく吉田修一さんの本の紹介と個人的感想です)
『女たちは二度遊ぶ』
初めて読んだのは大学生の頃か、新卒で社会人デビューした頃だったか、そのへんだった。
小説を読みそうな友人にこの本を薦めて貸して、戻ってこない→再読したくなりまた文庫本を買い直す→また他の人に貸す→買い直す
を、何度かループしたことのある思い出深い小説。
今僕の手元にある『女たちは二度遊ぶ』は何代目なのか、もうわからなくなった。
僕がこの小説を気に入っている理由のひとつは、主人公、読み手の主観となる人物が、世間の明るいところから見たらなかなかゲスであるということだ。
読み手によっては、読後感が悪いと感じるかもしれない。なんというか、若い男特有の卑怯さというか、ずるさというのが随所に醸されている。若さゆえのうまくいかないことや何かに追い詰められていると、そういう狡猾さを体得してしまうのかもしれない。というのも、自分にもそんな一面がたぶん絶対にあったと思うのだ。(認めてしまいたくないが)
僕はこの小説を読んでいて嫌な気分にならなかった。どころか、僕はこの登場人物に同情や共感のようでもある温い気持ちを覚え、何回も読み直す始末だった。愛すべき駄目男たちへの男の友情ってところでしょうか。
吉田修一は女心を描写するのがうまい、と女性作家がどこかの記事で評論していたような。そして、青年期の男の鬱屈した内面を書くことについては、さらにその高みを行くと僕は思う。
痛みもあり、楽しさもあった刹那の時代の心の揺れ動きを、文章にして掘り起こしてくれる、吉田修一初期の作品群。いいです。
この頃はまだ、映画で有名な『怒り』『悪人』なんかの犯罪をベースにしたストーリー展開がなされるものは少なく、どこにでもいるような人物の、日常のなかの出来事を描いた小説も多かった。
僕はそれが好きだった。
久し振りに再読したら、どこか懐かしむような気持ちというか、それは当たり前なのだけれど、登場人物たちとはそれなりの距離を感じた。
すなわちそれは、もう僕がけしてそこに戻れないことの裏返しだった。僕はそのことにすこし安堵する。
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熱帯魚という短編集のなかの『グリンピース』という話も好き。
彼女にグリンピースの粒を投げつけてしまう男の話だ。彼女は家を出ていき、それから色々起こる。
好みは別れるかもしれないけど、(いや、間違いなく別れるが)どこまでもだらしない主人公に共感するような駄目な青春時代を送ってきた人に強くオススメしておきます。
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