僕は何が言いたいんだろう
思っていることを吐き出したい。
誰かにこの気持ちを聞いてもらいたい。
そんなことを思ったことは、ありますか?
仕事の愚痴なら同僚に、家庭の愚痴はママ友に、趣味の話はサークル仲間に。
同じステージにいて似たような経験をしている仲間がいれば、その想いを共有することはいとも容易いのかも。マスな世界では。
でも、それよりもっと深く、深く掘り下げて踏み込んでいけば、共有できる領域はそれに伴い狭まっていく。
受け入れられるかどうか不安な、奥底に秘めた感情は、陽の目を見ずに納得した振りで埋め戻される。
唐突に思う。
どろどろした胸の内をつかんで引きずり出して、あなたの目の前で地面に叩きつけてみたい。
それを見たあなたはなんというのでしょうか?
どんな表情をするのですか?
軽蔑の目を向けられるイメージしか沸かないので、僕は今日も小説や音楽相手に自分の想いを投影したりするのだ。
小説や音楽の有用性を改めて実感。でもそれは少なくとも僕にとっては、という話。
誰かと話してみたい。
僕のどろどろした内面を全部話して、共感を得てみたい。願わくば、なぜそんな気持ちになるのか、そこにどんな傾向があるのかなんてことを、お酒を片手に語り合いながら、ゆっくりと、安心した気分で夜を越してみたい。
TVの画面越しに見る美しいあのひと。
内面まで完璧にきれいな人間なんているのだろうか。
人に軽蔑されるような一面を持たない人になりたい。
僕は、自分のある一面に他者から軽蔑される対象が備わっていることを自覚して生きている。
そしてそれをうっかり話してしまわないように気をつけて暮らしている。
軋む吊り橋から足を踏み外してしまわないように。
あの瞬間、この瞬間、
誰にも言えない一言を飲み込まないで生きている人間なんているのだろうか。
僕は、
こんなこと言ったら空気がおかしくなるからと、相手により自分をまともだと思わせるような言葉を選んで喋ってる。
大人になればなるほど受け答えが利口になった。
自分じゃない口が喋ってるみたいだ。
もしその逆をいってみたらどうか?…怖い。
たとえば、今まで僕が溜めてきた澱のようなものを打ち明け話にして共有できる女神のような…
馬鹿馬鹿しい。叶うはずがない。
僕は、酔っている。