僕と誰かの日常の記録/妄想文章

個人的なブログ。永遠のど素人が一級建築士試験を受けてみた。小説や映画の感想。思いつきで書く創作的文章など。

年齢を重ねてよかったと思うことひとつ。

TVをつけたらあのCMでたまたまスピッツの曲が流れていたからだった。久々に、懐かしい音楽を聴きたくなった。

あの頃、僕はまだ中学生だった。CDが縦長のパッケージだった時代。B'zや当時売り出していたglobeなんかの音楽を、ヒットチャートに出ている順に手当たり次第聴いていた気がする。僕は、なんとなくみんなが聴いているからという理由でそれらの曲をチェックしていた。なんて平凡で主体性のない中学生だろう。いや、中学生だったから、大人ではなかったから、周りに同調して安心したかったのかも。

でも、なぜだろう。

当時聴いていた曲を改めてYouTubeで聴き直してみた。すると、それはあるリアリティをもって、しっかりと耳に迫ってくる。僕は、何もわかってなかった。そのことが今ならわかるのだ。

B'zもglobeも大黒摩季も最高すぎる。don't leave meなんて特に最高すぎる。

雑誌に載っているような有名なブランドの服、でもコンセプトもよくわからずに少しオーバーサイズの服を着ていた感じだったものがやっと自分のものになった感覚、といえばいいのか。大人になりやっとジャストサイズで好きな風に着こなせるようになったような。

僕の肉体はゆっくりと老いに向かっているとしても、青春と呼ばれる時間はもう永遠にないとしても、時を経ることで得た経験と感性はなんだかいろいろと使い道があるのかもしれない。
音楽はいつも変わらないのだけれど、僕は変わった。(もちろん、当時の僕は僕なりに、楽しんではいたのだけれど)

小説もそう。村上春樹の『国境の南、太陽の西』を中学生の僕が読んだのなら、どうだろう。読後感は。もしかしたら嫌な気分になるかもしれない。
逆もある。中学生の頃、五木寛之青春の門(筑豊篇)』を学校の担任の薦めで読んだ。彼には僕が悩める少年に見えたみたいだ。それはすっと差し出された。その日から眠る時間を惜しんで読んだ。
音楽でいえば当時出会ったのはブルーハーツ尾崎豊

あの頃よりわかること、共感できることが増えた。

あの頃にしかわかり合えない感覚があった。

僕らは確かに年を取る。それは失うと同時に何かを得ることなのだろうか。ともあれ、愉しめる芸術や表現できる何かが変化していることは、これからの自分が楽しみになる理由のひとつになる。
昨日は理解できなくてやり過ごしていた何かに、ある日ものすごく共感できる日が来るかもしれない。
そういったものにばったりと出会いたい。

先日のTVニュースでやっていた、芥川賞を受賞された若竹千佐子さんの小説をとても読んでみたいと思った。
いつになっても、何か素敵なことが起こることを想像してわくわくしたい、僕は。

おらおらでひとりいぐも

おらおらでひとりいぐも

青春の門(第一部)筑豊篇(講談社文庫)

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