僕と誰かの日常の記録/妄想文章

個人的なブログ。永遠のど素人が一級建築士試験を受けてみた。小説や映画の感想。思いつきで書く創作的文章など。

課題発表までの長く短い春

そろそろ、一級建築士試験 設計製図の長期講座が始まる季節。去年のことを思い出し、僕が2016年の設計製図試験に初年度で落ちてから、二年目の課題発表までに取り組んだことを綴りたいと思う。

まずは演習課題のなかで、

・作図力強化(時間管理、階段などのパーツ練習含む)

効果→時短。作図表現などでの迷いを減らすことでひたすら時短。作図中は製図マシーン。それによる見直し時間確保。

・過去問の課題文に触れることでの、毎年の定型的な文章の把握。かつ、本試験での出題傾向の理解

効果→定型文を知ることで、異なった表現が出たときに気づくため結果読み落としが減る。定型のものはルーティンにおとしこめる。それにより時短。出題傾向は、慣れていれば本試験時には新出の部分の対応に集中できる。

などをすることにした。


でも自分にとって一番のキモであったのは、昨年は何の要素をもってランクⅡだったかということで、これを分析すること。
長期講座が開講した三月の時点ではまだもやがかかった状態だった。


forestmori.hatenablog.com


減点の心当たりは細かいところまで見るとありすぎて、でも、他の人と比べて決定的に劣っている部分があるかといえば、それも明確にはわからなかった。
減点はされているだろうけど、それで落ちるの?ということ。
しかも合格発表前まで、本人がそこそこ出来たと思っていたのだから、なおさらたちが悪い。

辺長比や、受付の位置、パッシブなどなど、それぞれミスしても合格した人はいた、らしい。(もちろん復元図やインターネット上の情報であるので、それは推測の域を出ない)
だから各部分だけを見て比較していても一向に分析が進まない。


整理しよう。


そもそも、プランニングの時点で内容が厳しいのか、それとも部分的な減点、書き漏れが響いているのか、分析はそこからだった。
各種の減点項目などは挙げていけばきりがないので、混乱するのだ。

学校で見せてもらった合格者のプランがあった。それは大枠のところでは自分のものと似ていた。(同じところで学習していたのだからある程度思考が似てくるのは当然なのだけれど)
自分のプランと近いプランが合格しているのであれば、そこに差が生まれたのはなぜか。それを追求する。

ユーザープランニングを利用して、自分と似たプランがないか調べた。いくつかのプランが該当した。
集めた数プランを自分のプランの横においてじっと眺める。プランが似ていて合格しているプランは、確実に僕より書き込み度合いが多かった。課題文で要求されたことはきっちり書いている。僕は避難の二方向目や重複距離なんかも書けなかった。情けない。


僕は(ひとまず)結論づけた。


プランニングの方向性は(おそらく)悪くないだろうと。誉められたものでもないのかもしれないが、似たようなプランの合格者がいるということは少なくとも、僕のプラン自体が、それだけでアウトということはない。(と思うことにする)根本的に自分の中の何かが欠落しているわけではなさそうだ…。
であれば、今年はまず「課題文に書いてあることを大小問わず的確に表現すること」を絶対の目標にしよう。あとは、細かい自分ルールに固執しない(重要)。書き込みで負けない。見直ししてケアレスミスしない。記述も過不足なく書き、捕捉図が出たらスペースを埋める。などなど。
(実は、落ちた要因については記述のことも影響していると思っているのだけれど、詳しくはまた次の機会に…)
状況により、ある種の条件違反や書き込み忘れが即致命傷になりえる可能性のある、恐ろしい試験なのかもしれないと思った。インターネット上の『何々できなかったけど受かった』を真に受けて、自分にも可能性があると待ち続けていた僕はとんだピエロか。結局は、図面と記述用紙に表現できたことだけが採点のすべてとなるのだ。今年は悔いなくベストを尽くす。これで方針が決まった。

それが可能となるように、訓練を重ねた。
本当の勝負は課題発表後に訪れると考えていた。課題が発表されたら、せーので待ったなし。7月に好スタートが切れるように、今は今しかできないこと、足元を固める時だ。





追記

…2017年の本試験で蓋を開けてみれば、僕の積み上げてきたエスキス、作図のルーティンは崩されボロボロになった。

あの試験中の極限状態では、自分のやってきたことが無意味なように思えた。

でも振り返ってみれば、昨年の分析で自分なりに結論を出して、「課題文中に書いてある要求をとにかくすべて図面に反映させること」に執着したことが特に良い結果に結び付いたと思っている。
まるで、練習を積み重ねたバッターが変化球にフォームを崩されてもなんとか食らいついていくように。

本試験で何が起こっても、決して絶望してはいけない。

自分が苦しい時は人も苦しい。
自分が上手くいっている時は案外、人の方も上手くいっている。
だから、厳しいと思った時も勝負を投げる必要はないし、反対に楽に進んでいる時ほど注意深くならなければいけない。

二回の異なった状況での本試験での体験は、まるで人生の教訓のような言葉を僕の胸の内に残した。